序曲ニ短調 Ouverture in Re minore S.ファルボ

SALVATORE Falbo - Giangreco

ファルボの生い立ち

 ファルボ(Avola 1872.5.28 Avola 1927.4.8)はイタリア共和国シチリア島南東部のシラクサ県アヴォラ Avola に裕福な地主の長男として生まれた。父ガエターノ・ファルボ Gaetano Falbo、母コリーディナ・ジャングレコ Corridina Giangreco である。

 幼少の頃より音楽に親しみ、18歳の時にアントニーノ・ピエトロ・タス力  Pietro Antonino Tasca に和声学を学び、パレルモでジョルジオ・ミケーリGiorgio Miceliに対位法を学んだ。画像は Circolo Mandoloinistico Fiorentino より

音楽院

2年後、グリエルモ・ズエルリがパレルモのベッリーニ音楽院(図)の校長の時に外部生徒として認められ、カシ Casi とストロンコーネ Stroncone からピアノを、ファバラ Favara から対位法とフーガを、ズエルリ Guglielmo Zuelli に作曲法を学んだ。

 彼は2年足らずで全てのプログラムを修め、1896年10月にピアノ、作曲、対位法などの試験を受け、大管弦楽の為の舞台音楽 Scenalirica と叙情的な「五声のフーガ」を提出して卒業証書を手に入れ、同音学院を卒業した。

卒業後の活躍

  5ヶ月後にニコシア市吹奏楽団の指揮者にコンテストで選出され、3年間務めた。その後アヴォラに帰り同地の吹奏楽団の指揮者を1900年から1922年まで務め、同時にオペラ監督のポストを引き継いだ。ファルボは非常に控え目で誠実な性格であり、歩く時はステッキをたずさえた大変優雅な物腰の紳士であったという。1922年にムッソリーニによるファシズムの台頭を阻止しようとする農民を中心とした社会主義者たちのデモ行進によりコンサートが中断され、粗暴な農夫に恐喝を受けた事件がきっかけで同年指揮者をやめた。彼は生涯郷里アヴォラ(図)を離れず、1927年にスペイン風邪のパンデミックにより同地で没した。

主な作品

 作品は歌劇、管弦楽曲、吹奏楽曲、ピアノ協奏曲等がある。著名なものは歌劇フィオレルロの中の管弦楽の為の序曲戦い Nella Lotta、オルガンを伴う五声の主よ慈悲を Kyrie Eleison がある。フィレンツェのスカラムッチャ新聞のコンテストでクラシックスタイルの序曲でメダルを得ている。更にヴァイオリンとピアノのロマンツァ、弦楽の歌 Lirica 。古典形式の間奏曲ポンパドール Pompadour 、アマートの台本による一幕のオペラ、ヴァイオリンとピアノのセレナータ叙情詩、オペレッタ王女の物語三楽章の組曲 La Favola della Principessa 等がある。オペラ作品はアヴォラのガリバルディ劇場(図)で公開されている。

  ファルボはイタリアのマンドリン機関誌イル・プレットロによるマンドリン音楽啓蒙運動の早くからの協力者であり、最初のマンドリン作品も1890年代に発表している。マンドリン作品は同誌のコンクールに入賞した組曲田園写景 (1910)  序曲ニ短調 (1912) 組曲スペイン(1922) やプレクトラム四重奏曲(1922)4パート合奏曲抒情的間奏曲(1924)の5曲を含め、全部で14曲が知られていて、マンドリン曲は日本で良く取り上げられているが、イタリアではほとんど忘れられた作曲家となっている。これらの楽譜はイル・プレットロから出版されている。

序曲 ニ短調 (1912) Ouverture in Re minore

序曲ニ短調の概要

 本曲は1912年イル・プレットロ誌主催の第4回作曲コンクールにおいて,ラウダスの ギリシア風主題による序曲,カペレッティの 劇的序曲,カンナの 村祭 とともに金賞に輝き、イタリア文部省から賞品として“G.ヴェルディの肖像画”を贈呈されている。

  ニ短調という調性はト長調やイ長調と同様にマンドリンやマンドラの弦の音を含んでいてニ短調の主音(D) 属音(A) 下属音(G) が開放弦のため良く響く。また、ニ短調は古典的な歌劇において主に怒りや恐怖を表わすときに使われている。しかしながらファルボの 序曲ニ短調 はホ長調で始まり、次にベース音が半音下がるなど調性が次々に変わる。調性を変えるために減七の和音を用いている。この作曲法は当時のドイツ的半音階主義の方法を取り込んでいて、無調の曲といえる。中野二郎による1972年5月1日発行のイタリアマンドリン百曲選第15集に掲載された。

YOUTUBEの例はファルボに関する写真や楽譜が出ていて参考になる。

曲の構成

 曲の形式は、それまでイタリアマンドリンの作曲で多く使われている急-緩-急の三部構成ではなく、フランス印象主義的な形式といえる。無調の曲ではあるが、曲名は序曲二短調と調性を表わし、序奏部分のニ短調と曲の最後が ff でニ短調の属7和音(ドミナントセヴンスA7 )から主音(D) に進む終止法で落ち着く。このため聞く人はそれまでの不安定感を最後に払拭できる。ファルボは無調音楽を取り込みながら、それに抵抗しているのかもしれない。序曲ニ短調はイタリアのメロディーと感性をベースにドイツの理論とフランスの形式を組み合わせた作品と言えるだろう

無調音楽

 1912年はオーストリアのシェーンベルクが無調音楽の 月に憑かれたピエロ を発表した年である。その2年前の1910年にはフランス印象派のドビュッシーが前奏曲集 第1巻を発表するなど、それまでのロマン派の音楽が近代音楽に変わる過渡期となっている。

 画像はパトリツィア・コパチンスカヤによる月に憑かれたピエロのCDジャケット(2019年12月)

 ファルボは1910年の田園組曲で既にソナタ形式により作曲しているが、この序曲二短調で無調音楽と印象主義的形式を試みている。これはイタリアマンドリン音楽の流れの中では数少ない作曲家の一人と言える。

 ファルボのマンドリン曲では1912年に発表されたこの序曲ニ短調以外に無調の曲は見当たらない。ドイツのマンドリン作曲家ベーレントはシェーンベルクの12音技法も取り込み、現代音楽や前衛音楽へと進んだ。また、アンプロジウスはピック奏法を主体としたツプフスタイルによるドイツの古典音楽演奏を提唱した。しかし、ファルボはそういった方向には進まず、ソナタ形式や印象派の和声などを取り込みながら、イタリアロマン風の曲を基本にしている。この序曲二短調は無調音楽のもつ不安定さがあり、不気味で陰鬱な雰囲気もあるが、近代的なイメージとモチーフのメロディが親しみやすいことからか、日本で数多く演奏されている。なお、この序曲ニ短調には管弦楽版があり、これを元にクラウディオ・マンドーニコや石村隆行氏がマンドリン合奏に再編曲した版も発表されている。

演奏時間 約7分40秒

 ファルボに関しては岡村光玉著の「サルヴァトーレ ファルボ と マンドリン音楽」に詳しい。発行者:中原誠 ペーパーバッグ、A5判、140ページ 


<参考>近代音楽の特徴

 古典・ロマン派の音楽は基本的に長調12調、短調12調の計24調によって成り立っていて、それらの調の中で転調したり、違う調の音を一時的に借りてきたりして、曲が作られている。古典派の音楽はベートーベンで一つの頂点を迎え、その後ロマン派の音楽が発展した。20世紀初頭、ドイツではワーグナーによる半音階主義の音楽が進み、フランスでは印象主義音楽があらわれ、民族旋法、教会旋法、全音音階( C D E F# G# A# )などの音律、音階が用いられた。そういった動きは調性崩壊の流れとなりロマン派の音楽も終局を迎えた。

これらワーグナー、ドビュッシー、シェーンベルクの音楽は当時の作曲家、音楽家に強烈なインパクトを与えた。(メリアの最後および基準音程、音階、音律を参照)

 1910~20年代は無調音楽の時代と呼ばれている。また、音楽形式も主題提示-展開-再現といった直線的なものではなく、動機や主題が相互に関係を持ちながら螺旋を描くように生成転化していくという循環形式なども考えられた。たとえば、クロード・ドビュッシーが1903年から1905年にかけて作曲した管弦楽曲である海は葛飾北斎の浮世絵、冨嶽三十六景の1つ神奈川沖浪裏にインスピレーションを得て作曲された作品と言われている。この曲の形式に循環形式が用いられている。また、四度五度の平行進行を多く用いていて、東洋的雰囲気を表している。

 全音音階による曲は調性感が少ないが、無調音楽は更に調性を感じさせる音である主音・属音・導音などを回避したり、主音が絶えず変化し調性を確定できない楽曲にするといった、調性の基本的ルールを取り外している。このため楽曲に安定がなく、聴いていると大半の人が「不安定な気分」になる。無調の音楽はその後、新たに12音音楽が考えられる。

12音音楽

 シェーンベルク( Arnold Schönberg, 1874.9.13 – 1951.7.13)が従来の調性音楽に代わる方法論である12音音楽を確立したのは1921年~1923年に書かれたピアノ組曲といわれている。12音音楽は1オクターブ内の12の音を1つずつ使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディや伴奏を作るというもので、ドデカフォニー dodecaphony ともいう。ワーグナーやドビュッシーに多大な影響を受けたイタリアのルイージ・ダラピッコラ( Luigi Dallapiccola, 1904.2.3 - 1975.2.19)は12音技法を用いた作曲も手がけている。中村弘明は1970年に作曲したプレクトラムオーケストラのための組曲1番 Death Valley(死の谷)Op.9の第4楽章< Infernale 悪魔的に恐ろしく>に12音音楽を取り入れている。また楽音ではないホワイトノイズ(ファズトーン)やシロフォンも利用していて、現代的な曲といえる。

ディミトリ・ニコラウ(1946-2008)による「メモリアム・ア・ジークフリート・ベーレント」の マンドリナータ・マンハイムでマンドリンの現代曲の一例を聞くことが出来る。

( Wikipedia 等参照)