コックの生い立ち
Johan Babtesta Kok (March 1, 1889 Amsterdam, 1954)
J.B.コックはオランダのアムステルダムで生まれた作曲家、指揮者,、教師、審査員、オランダにおけるマンドリン演奏の第一人者である。コックは音楽家としての教育を受け、卒業後プロのヴァイオリニストになる。またギターとマンドリンも手がけ、専門の演奏家となった。1920年頃アムステルダムでC.B.スミスの音楽ショップで編集された ポピュラーマンドリン教室 と題した2冊の教本(64ページ 図)を書いた。
作曲と演奏
その後マンドリンオーケストラの作曲を依頼されるようになった。コックはダニエル・ルイネマン(1886年ー1963年)などの音楽家とともに活動し、最初の曲を作った。それは3つのフルート、2つのマンドリン、2つのギター、ハープ、時計、チェレスタとピアノのための作品で、コックはその初演でマンドリンを弾いている。またウィレム·メンゲルベルク(1902年ー1984年)の指揮によるアムステルダム·コンセルトヘボウオーケストラで 千人の交響曲と呼ばれるマーラーの第八交響曲にマンドリンで参加した。
楽譜の出版
アムステルダム音楽出版社 Seyffart は J.B.コックが作曲した新しい作品の音楽アルバムを発行した。その後の2年間に5巻以上が出版され評価を得ている。なお、コックの作品は主に1919年から第二次世界大戦まで刊行されたオランダヒルフェルスムの Lispet リスペート社と Barend van Zwieten 社発行の De Mandolinegids 誌に多くの作品を発表している。1926年から1930年にかけて、アルフェンアーン デン レイン Alphen aan den Rijn の Barend van Zwieten 社発行のマンドリン研究月刊誌 Het Ned Mandolin Orkest の編集に携わりマンドリン音楽の発展に寄与した。1930年にラジオマンドリンオーケストラを設立、オランダヒルヴァーシュムラジオ Radio Hilversum で150回以上のライブコンサートを行った。また、プレクトラムオーケストラ指揮者のための訓練コースを1930年に設立した。
1940-1945年には 新マンドリン教室 Denieuwemandoline-school として知られる新たなマンドリンの教本を書いた。100頁あるこの教本は1946年にオランダのアペルドールンでXYZ Publishing House出版社から販売され、人気を得て何度か再販されている。1957年には NVvMO(マンドリンオーケストラのオランダ連合 Nederlands Verbond )の公式雑誌になった定期刊行物 Mandogita にも参画している。
指揮者としての活躍
1951年にオランダのエクセルシオールマンドリンオーケストラの指揮者を引き受け、国内演奏会だけでなく英国イングランドのルートン※などへの海外公演も行った。ルートンでは序曲 ルートニア Lutonia をアイリーン・ボーンに捧げ、合同演奏をしている。アイリーンはルートンマンドリン合奏団の音楽監督であり、ギターとマンドリンの本でよく知られた作家フィリップ J.ボーンの娘である。英国のマンドリニストとギタリスト連盟(BMG)はその後、何回かコックを招待している。
マンドリンオーケストラの指揮者の経験を基にマンドリンとオーケストラの演奏者のためのガイドラインを1955年頃に発行している。
※ルートンは英国ロンドンの北約50kmの近郊に位置する街で、麦わら帽子の産地として有名であった。
主な作品
コックは生涯に200曲以上の作品を書いている。主な作品にはアンダンテグラツィオーゾ、エレジー、オランダからの挨拶、カーラ・ドナ、マンドリニストの生活などがある。わが国では 序曲魅惑島 や 行進曲マンドリニストの生活 Vita Mandolinistica、バラライカの想い出 などが演奏されている。(尾崎譜庫での解説、ニュージーランドの Mandolinata Orchestra Inc. 、Alex Timmerman の文書等を参照)
コックの代表的な曲のひとつ。
魅惑島 L'Île enchantée はイギリスの作曲家アーサー・サリヴァンが同名のバレー音楽を1864年に書いている。
サリヴァンの 魅惑島 は神話がモチーフとなっているが、コックの 魅惑島 は実際の島をイメージしているようだ。
魅惑島のモデルと思われるのはインド洋の南、ヨーロッパからは最も遠い場所にあるアムステルダム島で、1522年3月18日、スペインのバスク人ナビゲーターであるファンセバスティアンエルカノによって発見された。オランダの船員 アントニオ・ヴァン・ディーメン が1633年6月17日、島を目撃し、彼の船にちなんでアムステルダム島と名付けられた。1843年に島はフランス領となっている。ここは南インド洋では数少ない森林のある島で、ゾウアザラシやアホウドリが多く繁殖している。画像はアムステルダム島
序曲魅惑島はパリの L’Estudiantina 誌から1922年に出版された。 本邦でコックの曲はこの 序曲魅惑島 が最も多く演奏されていると思われる。急-緩-急の伝統的なイタリア形式だが、曲想に変化もあり、緩徐楽部でのマンドラのメロディやマンドリンソロなどのちょっとオシャレなイメージもある曲。
演奏時間 約4分30秒
原編成 第1、第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター