麦祭り 大幻想曲 M.マチョッキ  La Festa del Grano, (La fête du blé) -Grande Fantaisie-

Mario Maciocchi

マリオマチョッキ

マチョッキ(1874年4月4日ローマ-1955年11月9日パリ)の生い立ち

 マチョッキの家族はそれぞれ楽器を弾いていた。19世紀の終わり頃のイタリアはマンドリンがとても人気であり、マリオマチョッキも、幼少の頃にギターに堪能な父の手ほどきを受け、ギターとマンドリンを弾くようになった。

 1892年に BENEDETTI から音楽理論とソルフェージュを、BRONTOLI と CONSORTI にギターとマンドリンを師事した。その後マチョッキはローマの 聖セチリア音楽院 Academie Sainte-Cecile の CETACCIOLI 教授に興味を持たれ、彼のアンサンブルレッスン、作曲と指揮クラスで学び、音楽家としてのアドバイスも受けている。また、ヴァイオリン、チェロ、ピアノも学び、チェロは彼の生涯に渡る主な楽器となった。また熱心なマンドリンプレーヤーでもあり、マチョッキは仲間から依頼され、ご婦人の家の窓の下、紳士の住居の前やお嬢さんの部屋のバルコニーの下など、ローマのさまざまな場所で人気のあるロマンチックなマンドリンのセレナーデ曲を弾いた。

 当時の演奏グループとして有名であった、ファントーリ Fantoli、デキュピス De Cupis、アントワネット Antoinette、ペルジェ Pelge がメンバーのローマ弦楽五重奏団 Quintette Romain  の研修チェリストとして17歳で参加した。その後プロのトレーニングを受け、数年間南米に行ったが黄熱病にかかり挫折、チェロの研修をあきらめた。しかし、この南米への旅行はマチョッキの一生の思い出となっている。

 1900年には家族のいるパリに戻ったが、イタリアからフランスに引っ越した家族は困窮していてマチョッキは若い音楽家が多く住んでいたパリの芸術の中心地に一人で生活することとなる。彼はパリからベルギーに行き、リエージュ Liege で二つのオーケストラの指揮を務めた。1905年からはパリに定住し、教授所を設立、ギターの教則本を出版するなど、主にプレクトラム音楽の教育指導を通じて、その普及に務めた。生徒には男爵夫人、伯爵夫人など貴族階級の人達もいた。またマンドリン・オーケストラ・ド・パリの指揮者としても活躍した。

L’ESTUDIANTINA誌の発行

 1905年にマンドリン音楽誌 L’ESTUDIANTINA を創刊、月2回の頻度で発行した。当初ローマの男 Monsieur de Romeのペンネームで発刊した。またマチョッキの作品の半分はオルガ・デリス伯爵夫人 Comtesse Olga Delys の別名でも発表されたが、これは発行に当たって必要な協力者の名目であったという。事情をよく知っている友人は「あの、オルガ・デリス婦人は小柄で髭が生えているんだ」と話している。世間に知られるようになると本来の Mario Maciocchi に代わっている。

 L’ESTUDIANTINA 誌上において、イタリアの同胞たちである Bacci、Belletti、Manente、Macchini、Masi、Mercuri、ならびにフランスの Alton、Ballat、Hardy、Menichetti、Mesplou、Morelli、Montfort、Schiano や近隣諸国であるオランダのMurkens and Smits、スペインの Marquez-Garcia などによる作品を発表した。今日まで残っているプレクトラムオーケストラ(O.A.P)のレパートリーが急速に増加し、マンドリン音楽の普及発展に貢献した。この頃フランスもマンドリン音楽の黄金時代となった。

 マチョッキの友人に作曲家のヴィンセント・スコットVincent SCOTTO がいて、同じパリのポルト・サン・マルタン Porte St Martin 地区のため頻繁に行き来をしていた。歌詞と作曲を共同で作成した、小さなトンキニーズ※ La petite tonkinoise は大人気のヒット作となった。

 ※ミャンマー猫とシャム猫の交配種

図はアントワーヌブランチャードによる雪のポルト・サン・マルタン市街 

  L’ESTUDIANTINA を1934年5月には L'orchestre à plectre 誌と名を改め、1939年まで引き続きプレクトラムオーケストラ(O.A.P)のための作品を数多く紹介している。彼自身の作品はプレクトラムオーケストラ曲の他、シューベルトやモーツァルトなどクラシックの編曲作品も発表している。ピアノ曲、管絃楽曲、室内楽曲,歌曲、チェロ曲など、親しみやすいメロディーから宗教的な歌まで編曲作品を含み約900曲を残したマチョッキの作品はプレクトラムオーケストラに対する非難や特有の困難を克服することに貢献した。

図は1900年頃のフランス・マイエンヌESTUDIANTINA (wikiより)

作品の特徴と名称

 作品には女性の名前とヨーロッパの都市名の他、愛情、夢、花、星、天使と悪魔などに関連付けられている。彼のロマンチックなスタイルの音楽は、明るさとドラマが混在したものであり、母テレサの血をひくスペインの民族音楽に触発されている。また、マンドラのメロディーが魅力的なのも特徴と言える。画像はマチョッキのマンドラ

 本邦では麦祭り La Festa del Grano,  -Grande Fantaisie-、水車小屋の娘達 Les amoureux du moulin, ouverture、ミルタリア Overture Myrthalia、チャールダーシュ ミレーナ Milena, czardas、ルーマニア大幻想曲 ナデージャ Nadedja, grande fantaisie roumaine 、セヴィラの空  Ciel de Seville などが良く取り上げられている。

 マチョッキの曲は19世紀後半から20世紀初頭にかけてイタリア、フランス、ルクセンブルク、オーストリア、ドイツおよび日本のアマチュアを主体とするマンドリン界で人気があった。

 第二次世界大戦中に妻を亡くし、息子とロンドンに疎開、晩年の10年間はパリのソルニエ通り Rue Saulnier(図) でミュージックショップを開き、マチョッキが洞窟 cueva と呼んでいた小さなスタジオでギターのレッスンをしながら過ごした。1950年には国立音楽院でマンドリン・オーケストラ・ド・パリとの最後のコンサートが行われている。マチョッキの曲は19世紀末のイタリアロマン主義とフランスの叙情的な芸術を継承し、プレクトラムオーケストラに表現したと言えるだろう。

尾崎譜庫の解説、wikipedia 等参照 

L’ESTUDIANTINA誌コンクールの金賞

 画像はL’ESTUDIANTINA 誌主催の作曲コンクールで優秀賞に与えられる金のメダル。

 淡いグリーンのサテンのリボンの左端にイタリア国旗のストライプTricolore italiano が、右側にフランス国旗のストライプ Tricolore が並んでいる。 メダル部分は球形のメタリックゴールドのボディに濃い青のラッカーを塗った盾を配している。

La Festa del Grano (La fête du blé),- Grande Fantaisie- 麦祭り 大幻想曲 合唱付

 麦祭りは主に南イタリアで小麦収穫時期に開催されるとても重要な祝祭である。イタリアで感謝祭または収穫祭の起源はローマ時代にさかのぼる古い歴史を持っていて、麦祭りは紀元前18年に初代ローマ皇帝であるアウグストゥスによって設立された8月15日の祭りに遡ることが出来る。イタリアベネヴェント県のフォリアニアーゼでは先史時代から毎年8月に穀物祭りが行われている。画像はイタリアサンニオの麦祭りでの聖アンナ(聖母マリアの母)のパレード風景

 麦祭りはその年の収穫に感謝するとともに、昔の悲惨な出来事をを引き起こした悪霊を祓う意味も込められている。たとえば1590年の天然痘の流行、1656年のペスト、1805年7月26日聖アンナの日の真夜中に発生した大地震(モリーズ Molise 地震)など。

 女性のパレード(図)は古くからイベントの中心である。悲惨な出来事の時でも女性たちは列を作り村の通りを通って聖人の礼拝堂にお供えをした。

 マチョッキ作曲の麦祭りは小麦が黄金色に実る夏に捧げるのがふさわしい彼の代表的な作品の一つであり、男性合唱を伴う4楽章の組曲となっている。マチョッキが76歳の1950年にパリにあるガロ・ローマ文化時代に作られた円形闘技場の遺跡アレーヌ・ド・リュテス Les Arènes de Lutèce(図)において、パリオペラ座から有名人の参加を得て、200人近くの楽器奏者と聖歌隊員を集めて演奏された。 現在でもマチョッキの「麦祭り」は各国で演奏されている。

1. 黎明  L'Aurore

2. 楽しき目覚め Joyeux Réveil

3. 麦の歌  Le Chant du Blé

4. 祭の後 Après la Fête

  曲に関して作者により次の解説が掲載されている。

1.黎明 麗しい陽の一瞥は黄金の鋲をちりばめた大空を灰色に染めてゆく。黎明の光はまたたいている。そして夜の暗闇が物した喪のかおぎぬは静かに消えてゆく。突如明るい陽は流れて会堂の風見の雌鶏が紫に美しく彩られた。これが安息した夜の終りで、又活動すベき日の初めである。

2.楽しき目覚め 新緑の夏と豊満な収穫とを讃美する鐘の音は歓声の様に響いてくる。これを聞くと村人達は疾く起き出でて祭神の衣を着ける。そして輝かしい面を見せて村道を右往左往する。やがて彼方の牧場から今日の祭りに到る牧人の笛の一曲が聞こえてくる。それから会堂の御告の鐘が遠く響いてゆく。村人はやはり村道を往ったり来たりしている。

3.麦の歌 会堂の鐘を合図に集まった村人達のミサが終ると若い人達は一団となって、古風な野趣を帯びた麦の歌を合唱する。これは伝統的なものであるが、形式、韻律などは一定していない。

4.祭の後 一同は再び料亭に会合する。互に心からの喜悦を尽すとやがて名残を措しんで散会する。そして彼方へ此方へ森へ畑へ・・・・・と急いでゆく。幾組かの若い夫婦達は麦の歌を高唱しながら仕事に親しむ。

 

3,4楽章には男声コーラスが入っている。

第三楽章の歌詞(一番) 高田三九三訳詞

起て若者よ 心は勇み立ち

日は輝けり とりいれを祝わん

麦はみのりて 大地を被いぬ

麦はみのりて 北風になびく

いざいざ行かん 鎌を手にとり

とりいれせん 時は来たれり

起き ともに歌わん ほがらかに 声合せて

見よや 日は昇りぬ 大自然は さわやかに

澄み渡れり

編成:Mn1,2 Md Mc Gui CB 男声コーラス チューブベル

 

演奏時間:1楽章 4分 2楽章 3分 3楽章 5分 4楽章 1分40秒